あの悲劇から、13年が過ぎようとしていた。
 最愛のを奪われ、弟のカノンを自ら閉じ込めたサガの魂は何時でも孤独だった。

 本来の自分を偽り、教皇として聖闘士たちに命令を下す役目は、悪の心が率先して引き受けた。
 しかし、「悪」がなりをひそめてしまうと、襲ってくるのはただただ深い孤独と、絶望感だった。

 この13年、真っ暗な闇の中をひとりで歩いてきたような気がした。
 その暗黒に堕ちたのは―全て自らのせいだ、サガはそう信じていた。

 あの時を―守れなかったのは。

 悪の心はそんなサガの葛藤を見抜き、幾度となく囁いた。
 
 「神の慈悲などない。そんなものがあるとすれば、は死ななかった筈だ」

 やめてくれ、もうたくさんだ。これ以上、罪を重ねるな。

 「私が神になるのだ。女神に代わってこの地上を支配する。全て私の思うがままに」

 大それた野望を、阻止するだけの力が今のサガには無かった。

 いつか、その野望を砕きに来る者が現れる、サガは漠然とそう思っていた。
 「悪」は必ず裁かれるのだ。

 それは自分が―死ぬ時、だ。

 

 まっすぐな瞳をした、ひとりの少年が教皇の間に辿り着いた時、サガは本当に久々に、悪の心に代わって表に出ることができた。

 女神を信じ、倒れた仲間たちに支えられてここまでやって来た彼こそ、自分を裁くものなのだ。そんな気がした。

 ―星矢。
 私の行いは確かに許されるべきことではない。だが…私は…

 この目の前の少年に自分の悲しみを説いたところで、仕方のない事。
 そこでサガは、彼に女神を救う方法を教え、そのあとに甘んじて女神の裁きを受けようと考えた。

 しかし、またしても悪が心の表を覆った。

 「悪」が叫び声を上げる。

 「お前さえいなければ、私はとっくの昔に地上を支配していたのだ!」

 少年に攻撃を仕掛ける悪を止めようとしたが、悪はもうサガの力が及ばぬほどに強大なものとなっていた。

 ―やめろ。これ以上罪を重ねるな。女神を救うまで星矢を殺させはしないぞ。

 悪は非道な行いをやめなかった。

 星矢を、そして彼を助けに来た一輝を、ことごとく地に沈め、まさに女神の命が奪われんとする時間にまで追い詰めた。

 しかし、星矢の渾身の一撃に襲われ、サガは倒れた。

 黄金の双子座(ジェミニ)の聖衣が問う。

 お前は誰だ?

 正義か悪か。
 神か邪悪か。

 答えよサガよ。

 お前は誰だ。

 悪の心が、戸惑い出すのをサガは感じた。

 そして―今こそ自分は裁きを受けるのだ。そう思った。




 星矢の持った盾が反射する、眩いばかりの光。
 自分を包む、柔らかな光に触れた。

 「悪」が断末魔の悲鳴を上げて自分の身体から抜け出して行く。

 終わった。…長かった。やっとこれで…

 サガは意識を手放した。




 夢を見た。

 長く苦しい、悪夢にさいなまれていたのだと思った。


 それはを守れなかった自分の罪。
 そして悪の心に支配された―己の弱さへの報い。

 そう、思っていた。

 ふと、額に温かな感触が触れたような気がした。

 驚いて目を覚ます。
 13年前の聖域の、ある丘の上。

 満開の花が咲き誇るその丘で、サガははっとして目を覚ました。

 「サガ…サガ」

 懐かしい声で呼ばれ、身を起こすとそこには、が居た。

 

 「とても、苦しかったのね。悲しい目にあって来たのね。でも、もう大丈夫、だから」

 はその目に涙を溜めていた。

 「苦しい思いをさせてごめんね。本当はずっとあなたのそばに居たかった」

 温かな手で髪を梳かれ、サガは瞬きをした。

 「―
 「おかえりなさい、サガ」

 優しい抱擁。
 あの時、自分の告白を受け入れてくれたときのように、はサガを抱きしめた。…





 目が、覚めた。
 現実に引き戻された。
 サガは身を起こすと、額の血を拭った。

 やるべき事が、残っている。

 そのためにも女神に会わなければ。

 女神は程なくしてやってきた。

 「あ、あなたは?」
 
 女神に尋ねられ、サガは面を上げた。

 「サガ…13年前貴方を殺そうとした男です」

 13年前。
 大切な人を失った自分は、神を呪った。
 しかし、それは―間違いだったのだ。

 「貴方に一言お詫びを申し上げたく、ここでお待ちしておりました」

 もうその言葉を紡いだ時に、覚悟は決まっていた。

 ドン!!

 サガは、聖衣の上から、自分の心臓を拳で砕いた。


 「このサガ…本当は正義のために…大切なひとのために生きたかったのです…ど、どうかそれだけは」

 口から血が溢れそうになるのを必死でこらえた。

 「それだけは…信じてください」

 絞り出すような声に、女神は頷いた。

 「あ…ありが…とう…」

 そこで意識が絶えた。サガは、28年の短い生涯を、終えた。





 サガの心の葛藤が起こした反乱はここに終結した。
 当事者であるサガと多くの黄金聖闘士たちの死という、大きな犠牲を払って。





 行先は、どれ位、遠く続いているのだろう。

 いつかまた、彼女と巡り合える日は来るのだろうか。
 それとも犯した罪の重さはあまりに大きく、二度と彼女のもとへは行けないのだろうか。
 
 サガは、否、サガの魂は行き場所を求めて彷徨った。





 女神はサガの亡骸を葬る時に祈った。
 今回の件で誰よりも苦しんだ彼に、せめて、救いを、と。
 その祈りが、天に通じたのか。



 聖域から遠い日本の地。

 一人の少女が、真新しい学生服に身を包み、道を歩いていた。
 
 「―」

 え?

 少女は振り返る。
 何か、ひどく懐かしい声で自分の名前を呼ばれたような気がした。

 太陽光が燦々と降り注ぐ、とても晴れた日。

 空を見上げると、柔らかな光の塊が、舞い降りてきた。

 少女は、そっと手を伸ばした。

 光の塊は、少女の手の中で、眩く光って、消えた。


 ―また、会おう。

 そんな声が聞こえたような気がした。





 「、どうしたの?何泣いてるの?」
 「わかんないけど、なんか悲しくて…」

 行こうよ、友人に促され少女―は前を向いた。

 太陽が高い位置で、相変わらず地上に光を降らせていた。…




 おわり