サガは「その日」を境に、床に伏せることは無くなった。
周囲の心配をよそに、いつものように清らかで優しい表情を崩さなかった。
「変化」に気付いたのは―弟のカノンただ一人だった。
「兄さん、女神も教皇も、殺してしまえばいいではないか」
カノンはが死んでから暫くしたある日、聖域でサガに言った。
それを聞くと、サガはかっと目を見開き、カノンを張り飛ばした。
「カノン、もう一度言ってみろ!いくら弟といえども聞き捨てならんぞ!」
静かな怒りが、サガの心を支配した。
まるで自分の中の悪を呼び起こすような弟の言葉に、純粋に腹が立った。
「そうだ、サガ…女神だけじゃない。次期教皇にアイオロスなどを選んだ間抜けな教皇をも共に殺してしまえと言ってるんだ」
カノンの目には、ありありと「悪」が見えた。
「幸い俺たちが双子だとは聖域ではもはや誰も知らん。俺が手伝ってやってもいいんだぞ」
もはや誰も知らない、その言葉にサガは反応した。
カノンは、の事を言っているのだ。
「私たちは女神を守るべき聖闘士だ。お前だって、このサガに何かあった時は双子座の聖闘士として、戦わねばならんのだぞ。それを…」
「何かあった時、か」
カノンは意味深な言葉を吐いた。
「ふっ…兄さん、いい加減正直になったらどうだ」
「何?」
カノンは続けた。
「女神なんぞ、今の兄さんは信じていない。一番大事だった人を奪われて、誰が神を信じるものか。俺には分かるぞ、今の兄さんの心には俺と同じ
悪の心が眠っていることをな!」
「き…貴様っ…黙れ!」
サガはざわつく自分の心を抑えようと必死になった。カノンの言うことは的を射て居た。
今の心は…偽っても偽っても抑えきれない心は、負の感情に支配されている。このままではいけない。―私は女神を守る聖闘士。
…それなのに。
「否定すればするほど、俺には分かってくる。…兄さんの本当の姿が…」
カノンの言葉を遮るように、サガはカノンの腹に一撃を食らわした。
実の弟に、聖衣を纏った状態で。…以前なら、考えられないことだった。
サガはカノンを、スニオン岬の岩牢に閉じ込めることを、決めた。
それはカノンの邪悪を封じる意味もあったが―これ以上カノンが自分を挑発したら、自分は実の弟を殺してしまうかも、知れなかったから。
邪悪の化身、悪魔、カノンの罵声は自分の心に響かなかった。
もはや手がつけられないくらいに浸食された心には、紛れもない悪が巣食っていた。
その暴走を止めてくれる人は、は、もはやこの世に居なかったのだから。
そしてそのを守れなかった自分が、何より許せなかったから。
私は―私は悪そのものなのだ。
サガはひとり呟いた。
スターヒルにおいて、サガは教皇に詰問した。なぜ、神のように人々に慕われている自分を教皇にしなかったのか、と。
教皇は自分の中の真っ暗な闇の部分を見抜いていた。
を失くしたことで、更に広まった心の闇。負の感情は留まることを知らなかった。
美しかった蒼の髪がざわざわと、不吉な漆黒に染まり始める。
サガは教皇を殺した。そして、それに成り変って、女神を殺し地上を征服するという、悪の心が望むままに行動する時が始まった。
つづく
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