別離

 「サガ、サガ」

 はサガを訪ねた。
 あの一件以来、心労からかサガは床に伏せることが増えた。

 無理もない。
 今までの努力が―水泡に帰してしまったのだから。

 何を目標にして生きて行けば良いのか分からない、まだ若年のサガにはショックの大きい出来事だったに違いない。

 サガの家の扉が開き、中から現れたのはカノンだった。

 「サガなら今は寝ている。…用件があるなら伝えてやってもいいが」
 「そう。…分かったわ。これをサガに渡してほしいの。カノン、お願いしてもいい?」
 「…分かった」

 カノンはから紙包みを受け取ると、ちらりとの表情を見てから扉を閉めた。

 サガはベッドに伏せり、ここ数日ずっとうなされていた。
 自分の中の善と悪の心の拮抗が、乱され始めている。
 悪の心が―そのすべてを支配しようとしているのだ。

 「サガ、起きろ。…から届けものだ」

 カノンは兄の身体を軽くゆすって起こした。サガは朦朧とする意識の下、「から…」半分身を起して、弟からそれを受け取った。
 
 サガは冷や汗をかき、顔色は青白く、弟のカノンから見ても尋常ではない様子だった。

 「サガ。…お前は…」

 カノンは何かを口にしようとしてやめた。

 

 は帰り道でも、サガを案じ続けた。
 左手の薬指には、指輪がはまっている。あの日、サガから贈られた指輪。
 何よりも大切な宝物。大事なサガは、自分を愛してくれているのだと言った。

 それは幸せな事だったし、例えサガの身に何があろうとも、サガを支え、助けて行きたいと決意する切っ掛けともなった。

 今の自分がサガの役に立てている自信はなかったが。

 サガの苦しみを少しでも救いたい。それは、不可能なのだろうか。



 ははっとした。
 いつの間にか、周囲から人気が途絶えていた。

 僅か不気味に思いつつも、帰路を急いだ。

 そのの目の前に、数人の男たちが、立ちはだかった。

 「…貴方達は…」

 が声を上げる前に、男の一人がの鳩尾に一撃を入れて居た。
 崩れ落ちるをもう一人の男が担ぎあげ、その場から連れ去った。…




 「―

 サガはの持ってきた紙包みを開いた。
 中には、以前サガが気に入った、日本の菓子と、ペンダントが入って居た。
 銀色のペンダント。―そう言えば、それも日本で手に入れたとかでが似たデザインのものを身につけて居たのを思い出した。

 落ち込んだ自分を元気づけようと、届けてくれたに違いなかった。

 けだるい身体を起こして、サガは立ち上がった。

 に、会いたかった。
 今の不安定な気持ちも、きっと彼女に会えば落ち着く。そう思ったから。



 家を出、の家へサガは歩いた。
 太陽が高く昇っている。暑い日差しは今の彼には苦痛だったが、に会いに行きたかった。

 そして―ふと、足元に何かが当たる感覚がして、視線を落とすと、見慣れたあのペンダントが落ちているのを、見つけた。
 が肌身離さず身につけて居たもの。

 鎖がちぎれて落ちたであろうそれを拾ったサガは、急に胸騒ぎに襲われた。

 ―

 の住まう家には誰もおらず、周囲の人々に訊いても、の姿をみたのは朝が最後だということだった。


 妙な胸騒ぎは治まらなかった。
 聖域中を聞いて回っても、の消息はつかめなかった。

 数日間、サガは生きた心地がしなかった。


 その後、事件は最悪の形で終わりを迎えることとなった。



 「サガ様、大変です!…さんが…」

 いち早くサガの家に訪れたのは、サガを慕う村人の一人だった。

 「なに?に何があったのだ!」

 サガは背中を嫌な寒気が吹き抜ける気がした。

 「……さんが…おいたわしや…」

 村人はそれきり言葉を失った。
 サガは目を見開き、家を飛び出した。




 の家には多くの村人が集っていた。
 ある者は涙を流し、ある者は祈りをささげていた。


 サガはその村人たちを押しのけ、の部屋に上がった。

 「!!」

 サガはそこでうっと口を押さえた。

 部屋の中央に寝かされているの姿が視線の先にあった。
 血の気を失い、目を閉じている

 「あ…あぁ……ああ……」

 サガは激しく狼狽し、その場でひざを折った。

 その傍に近づき、頬に手を押しあてると、命を象徴する温かさは絶えていた。

 「サガ様、さんは亡くなりました。何者かに、殺されて、この場に置き去りにされて―」

 サガの耳に村人の言葉は入って居なかった。
 の左手を取ると、あのサガが渡した指輪は無くなっていた。
 まさか。
 まさかは―私が贈ったもののために?

 聖域の治安が最近乱れていると教皇が頭をなやませている最中の出来事。

 守れなかった。―守れなかった!
 私が無力なために…

 サガは激しい虚脱感に襲われ、そのの手を握りしめて、肩を震わせて泣いた。…

 結局、神など当てにならぬものだ。
 私からを奪い去ってしまったのだから。

 どんなに清く生きようと、―この有様…

 サガは震える声でもう一度、恋人の名を呼んだ。「…」

 はもう何も答えてくれはしなかった。



 つづく