サガは指輪をに贈ったが、まだサガの年齢が適齢期に達していない事、また、教皇候補として未だ定まらない身分であることから、
「婚約者」という形を取ることになった。
住居もサガの身辺を乱したくないというの希望から別のままであったが、それまで以上に会う機会は増え、親密さは増す一方。
二人は幸せだった。
サガには聖域ではその存在を教皇以外にほぼ知らせていない、双子の弟カノンが居たが、には家族が居なかった。
幼いころ父の仕事の関係でギリシアに移り住み、しかし程なくしてその父も母もはやり病で亡くなったのだという。
サガも両親との縁は薄く、二人ともすでに他界していたけれど、そうした寂しさをは理解してくれた。
ある時には母のように、姉のように、サガに安らぎを与えてくれる存在であり続けた。
カノンはそんな兄の幸せをどう思ったのか、しかしいつものように悪態をつくことはなかった。
はサガの住まう家に訪れるときは、カノンにも優しく接した。
外との接触がほとんどない、それゆえに苛立ちからか悪事を重ねる弟に
サガは頭を悩ませていたけれど、それも、が間に入ることで収まりつつあった。
サガは自分を悪と言い放って憚らないカノンを案じていたのだが、ならばその弟も家族として大事にしてくれるに違いないと思った。
サガとの仲は、黙していたとはいえ聖域中で噂になった。
中には心ない言葉を放つものもいたが、気立てのよい、サガと同じく誰にも分け隔てなく優しい女性であるがサガの相手であることに
異を唱える者は少数派で、大多数の人々は祝福してくれた。
サガはを安心して迎えるためにも、教皇となることを強く望んだ。
それまで築き上げてきた信頼や実績にもそれなりに自信があったし、アイオロスには済まないと思いつつも自分こそ教皇に相応しい人間だと
信じていた。
しかしその一方で―サガはにも話さないで居る、秘密を抱えていた。
もう一人の自分の存在。
心の奥底に眠る、悪の心の存在だった。
が以前案じたように、人々に優しくしようとすればするほど、心の負荷は増え、生まれつき持っていた二面性はどんどんとその幅を広めていった。
悪の心はいつも、一人になった時に自分を支配しようとした。それをサガは必死に抑え込んでいた。
まだ、人前でそんな自分になったことはないけれど。
に愛されている自分を、壊したくなかった。こんな秘密が暴かれたら、確実に彼女は自分のもとを去ってしまう。そんな不安といつも戦う日々だった。
やがて、とうとうその「時」はやってきた。
教皇の間に、アイオロスと共に呼ばれたサガは、主の指示を仰いだ。
教皇は言った。
アテナが―女神が降臨したこと。
そして―新たなる聖戦に備え、新教皇を指名すると。
その新教皇の座に―アイオロスを就けると。
サガはその場では押し黙ったが、心の中は大きくざわついていた。
なぜ、なぜ、なぜ、私ではないのですか―
聖域での自分の行いは、全て無駄だったというのか。
今まで、人のため、尽くしてきた行いは、全て無駄だったと、いうのか?
「サガよ。聞いたとおりだ。アイオロスに力を貸してこれからも聖域のためにつくしてくれ。よいな…」
サガはその次の瞬間には我に返り、応じた。
「はい。アイオロスこそ次期教皇に相応しい立派な聖闘士だと私も思っていました。このサガ、これからも一命をかけて尽くしましょう…」
それは善の自分が紡いだ、忠誠の言葉ではあったが。
ざわざわと揺れ動く心の中は、まるで嵐のようだった。
家に帰るなりサガは涙を零した。
私は敗れた。
を迎える約束も―無駄になってしまうのか。
カノンは帰って来た自分の様子を不審に思ったらしく、「どうした、サガ」無遠慮に尋ねてきた。
「…次期教皇には、アイオロスが選ばれた…私は、私の存在は、もはや、意味をなさない」
口を衝いて出る言葉は弱音以外の何物でもなかった。
カノンはふん、と笑って言った。
「には、どう言うつもりだ?」
「それは…」
サガは言葉に詰まる。
とて、教皇に自分が選ばれることを期待してくれていたに違いないのに。
頭痛がした。
ざわつく心が、まるで水と油のように分裂するのを、サガは感じた。
―いけない!
サガは必死に自分を抑え込もうとした。
今精神が決壊したら、二度と元には戻れない―そんな不吉な予感がしたから。
カノンはそんな自分を黙って見ていたが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、が後でくると言っていたな。」
―私に、私に近づいてはいけない!
苦しみの中で、サガはの身を案じた。
はほどなくしてサガを訪ねてきた。
手作りの菓子を携えて。
「サガ、大丈夫?具合が悪そう」
が心配そうに自分の顔を覗き込んだ。
「何でもない。…それより、報告がある。次期教皇には、アイオロスが選ばれた」
「…そう、それは…残念だったわね」
は少し思いつめたように睫毛を伏せた後、言った。
「でも、私は少し安心しているの。…ごめんなさい。貴方が教皇になったら、ますます私なんかが近付ける存在じゃなくなってしまいそうだったから」
「…」
意外な返答に、サガは少し驚いた。
「サガ、あまり落ち込まないで。教皇になれなかったからって、皆の信頼も、私の気持ちも、変わるわけじゃないんだから」
「………」
サガはの手を握りしめて、―また泣いた。
「すまないな…」
その様子を見て居たカノンは、複雑な表情を作った。
サガの心に眠る「翳」を、弟は見抜いていた。
…このまま何も起こらずに済めば、それでもいいのだが。
どうも何かが起こりそうな気がするな。
カノンは二人をそのまま残し、家を後にした。
つづく
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