はじまり

 こんなに残酷な運命が、待ちうけているなど、誰が想像しただろう。


 夢幻協奏曲(むげんきょうそうきょく)

 

 双子座(ジェミニ)のサガは、ギリシア聖域で修行を重ね、アテナを守るべき黄金聖闘士として成長した。
 十五歳の今日まで、行いは清らかに、心は優しく、誰にでも分け隔てない愛を与える男として、聖域(サンクチュアリ)では評判だった。

 加えてサガは、快晴の空を思わせる蒼く染まった長い髪、美しく整った顔立ち、彫刻にも似たまさに神の芸術品とも言えるような身体を持ち、
 近隣の女性たちの多くが彼に恋い焦がれた。

 サガはそんな女性たちの気持ちを嬉しく思いつつも、いつもやんわりと断って来た。
 自分にとっての「特別」な存在が、既に居たので。

 「は居ないのか」

 サガは聖域のとある一軒家に住む女性を訪ねた。

 「サガ。今日は修行じゃなかったの?」
 
 サガの問いかけに応じた女性は、サガより三歳上。遠い国「ニホン」出身で、サガの心の拠り所になっている数少ない存在の一人だった。
 名をという。

 「修行はもう昨日で全て終わった。この聖衣(クロス)は、もう正式に私が身につけるものとなったのだ」
 
 その報告を、誰より先ににしたいと思った。サガは、辛い修行の間、何度となく彼女に救われた。
 怪我をすれば手当てを、落ち込んだ時には慰めを、は自分にいつも与えてくれた。
 云わば自分が黄金聖闘士として目覚め、修行に耐え抜くことができたのも、このの存在が少なからず関わっている。サガはそう思っていた。

 「そうなの。…おめでとう。これからとても大変な事が待っていると思うけど、私はサガなら何とか頑張っていけるって、信じてるわ」

 が満面の笑みを浮かべてサガを労う。サガにとってはどんな褒賞よりも、このの笑顔が祝福となった。
 
 「…ありがとう」
 「お祝いしなくちゃね。サガが好きなもの作るから、今日はうちでご飯食べて行ったら?」
 「ああ、そうさせてもらおう」

 サガを迎えるの声は優しい。彼女もまたサガを、実の弟のように可愛がっていた。
 



 同じ時期に修行を終えたアイオロスと自分が、次期教皇候補として挙がったのは、それから間もなくの事。
 黄金聖闘士の多くはまだ幼少で、老いた教皇の指導のみでは手が回らず、必然的にサガたち二人が指揮を執ることとなった。

 来るべき聖戦に備え、戦士を養う。―教皇はそれを二人に命じながら、サガとアイオロス、どちらが次期教皇に相応しいかを見極めようとしていたのだ。


 サガはいつも、清らかな心を大切にし、人のために心を砕いた。
 それはアイオロスも認めていたし、聖域に住む人々の多くは、サガこそ次期教皇になる、と信じて疑わなかった。

 サガはそんな人々の期待を一身に集め、自分も自覚を持たなくては、とますます教皇に、人々のために尽くす日々を送った。

 はそんなサガの姿をどのように取ったのか、時折、悲しそうな顔で言った。

 「あなたは、優しすぎるわ。誰に対しても。それはあなたのいい所でもあるのだけれど…」

 が心配する理由が今一つつかめず、サガは訊いた。

 「何故だ?、私は何か間違っていることをしているのか?それならば、教えてくれ」
 「そんなことはないわ。でも、貴方が辛い時は辛いって、はっきり言っていいのよ、それでなければ」

 はサガをいつも案じ続けた。
 それというのも聖域の平和のために公私ともに忙しく動き回っている彼に、何かよくわからない「翳」のようなものを認めたのだ。

 「……。そんなことはいい。…それよりも私の気持ちを聞いてほしい」

 サガはこの日、ある決意をしてこのの家に来た。

 「…サガ」
 「受け取ってくれ。これが私の気持ちだ」

 サガは小さな箱のようなものを手荷物から取り出すと、に渡した。

 「これ…」

 は驚いたように目を丸くする。
 箱に納められていたのは、―指輪。

 「お前の生まれ故郷では、こうした風習があるのだと聞いた。、どうか私の妻になって欲しい」

 サガはこれでも、相当緊張していたのだ。
 店を巡っては迷い、慣れない買い物に時間を費やしては仕事にいそしみ、しかし、ついに今日という日を迎えた。

 サガはを愛していた。優しい姉としてではなく―心から愛する一人の女性として。

 「サガ…」

 は嬉しそうに微笑んだ。
 箱を大切そうに手に収め、何度も頷いた。

 「私は貴方を、愛しているわ。だから、貴方の気持ちがとっても嬉しい。…本当に、私で、いいの?」
 「私は、お前以外を妻にする気はない」

 サガはそう言って、を抱きしめた。
 「…私も嬉しいぞ。…よく、私の気持ちを受け入れてくれた」

 緊張が解け、幸せに充ち溢れたサガはを掻き抱いた。
 もサガの背中に手をまわした。

 この幸せが、壊されることなどないと。

 そう、信じて疑わなかった。―その時は。


 つづく