冥界が崩壊した今、魂は一体どこへ導かれるのか。
私はその答えを、知らない。
fated〜もう一人〜
嘆きの門は目の前で砕け散った。
恐らく星矢たちは、私たちの力がなくとも、ハーデスを倒してくれただろう。
もはや、私の、否、私たちの役割は、終わったのだ。
私は、一体どこへ行くのだろう。
再び地上に生を享けることは、許されるのだろうか。
閃光と共に、私の意識は途絶えた。
「…く…」
サガは、ずきんと痛む頭を押さえながら、目を覚ました。
辺りを見回してみる。
木々が生い茂り、やわらかな日差しが差し込んでいた。
聖域ではない、戦いの場でもない、どこか。
サガはふう、と一つため息をついた。
誰も居ない。
共に戦った仲間たちも、女神も、双子の弟も。
僅かにこみ上げたのは、孤独感。―誰もいない。
私以外の者たちも、どこかへ導かれたのだろうか。
女神に罪を詫びるために、自らの命を絶った過去の記憶を手繰り寄せてみる。
そっとその腹に手を当てた。傷はもう跡形もなく消えている。
見慣れぬ景色の中、これから自分がすべきことを考えた。
しかし、何も浮かばなかった。戦いは終わり、自分の役目は終わったのだ。
地上を支配しようという大それた野望ももはや消え失せている。
ならば私は―どうすればいい?
答えは出なかった。
これは、戦い抜いた自分に与えられた、休息の時間なのかも知れない。
そんなことを考えていると、目の前にすっかり見慣れた者の姿を見つけた。
サガは目を見開いた。
「…カノン。カノン、なのか?」
双子の弟の名を口にした。
海よりも深い蒼の髪、鏡に映したように自分と瓜二つの顔。
彼―カノンもまた目を丸くした。「…兄さん」
カノンはその隣に一人の少女を連れていた。
「…カノン。この人は…貴方のお兄さんなの?」
少女が自分とカノンを交互に見て言う。
「ああ、そうだ。楓。サガは俺の双子の兄だ」
楓と呼ばれた少女は、サガに訊いた。
「貴方もカノンと同じ所から来たの?行く場所が、ないの?」
サガは頷いた。
「カノン、その娘は誰だ?」
「楓という。俺の命の恩人だ」
楓は、「はじめまして」と言ってぺこりと頭を下げた。
「貴方も、行く場所がないのなら、私の家へ来ませんか?」
にっこりと笑ったその笑顔に、サガは思わずまた頷いた。
「カノン、お前はどうしてここに来たのだ」
「それは俺にもわからん。気が付いたらこの世界に来て、楓が俺の手当てをしてくれた。それだけだ」
カノンの楓を見詰める視線が、いつに無く優しいのにサガは気づいた。
彼から悪の心が消えてなくなったと聞かされたのは戦いの最中だったが、改めて思う。今の彼に悪の心はない。
楓は台所に立ち、飲み物の準備をしているようだった。香ばしいコーヒーの香りがしてくる。
彼女の家に他の家族がいる気配はしなかった。だからこそ自分たち兄弟を招き入れたのだろうが。
「はい。二人ともコーヒーで良かったかな。お口に合うと良いんだけど」
「ああ、ありがとう」
サガはカノンの隣に座って、コーヒーを口に含んだ。程よい苦みと温かさが口の中に広がった。
「…美味い、な」
サガは呟いた。
戦いに明け暮れた日々を抜け、すっかり平和なこの世界に来ることになったのは、とてつもなく幸福な事なのかもしれなかった。
「そう、よかった。…そういえば貴方のことは、なんて呼べばいいかな」
「サガでいい。私も、楓と呼んでいいのか」
「もちろん。サガ、宜しくね」
彼女の無心な笑顔に、思わず口に笑みが零れたのは、サガ自身不思議な体験だった。
聖域に住んでいたころは、神の化身と崇められ、常に笑顔を絶やさなかった自分ではあったが、それは心からの笑顔ではなかったかもしれない。
自然に笑顔が出たのは―本当に久しぶりの事なのかも、しれなかった。
弟のカノンが、肘で自分をどついたのは、その時だった。
(おい、サガ。お前、楓に手を出すな)
眉を僅かに上げて、小声でカノンは言った。
(…なに?私がこのような年端も行かぬ娘に手を出すだと?何を根拠にそのようなことを)
カノンに対抗するようにサガは弟を睨んだ。
(何を言ってる。楓はもう、大人だぞ)
(…なんと!)
サガは改めて楓を見詰めた。年はわからなかったが、少なくとも28歳の自分の半分くらいだろうと思っていたのだ。
しかしながら、一人暮らしをしているらしく、出された料理も上手く工夫されているところを見ると、頷かざるを得なかった。
カノンはもう自分に背を向けて、楓と何事か楽しそうに話している。
血の繋がった兄の自分にはわかった、カノンは楓に惚れている、と。
よくわからないが、面白くない気持ちがサガの心を支配した。
昔、幼いころ、欲しいものをよく取り合って、結局兄の自分が折れてカノンに渡さざるを得なかったことを思い出した。
―カノン。私は認めないぞ。
いつの間にか自分も、この楓という存在に惹かれていることに気付いたのは、その少し後の事。
奇妙な共同生活は、まだ幕を開けたばかりだった。
つづく
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