運命

  カノン、カノン。

  優しい声で、名前を呼んで。




 fated〜運命〜



 「良かったね、カノン。大分良くなって来たよ」

 がカノンの傷ついた腹の包帯を巻き直しながら言う。
 カノンはじっと黙って、の為すがままに任せていた。

 痛みも当初に比べれば、格段に減った。
 何よりも安心できる場所での休息が、カノンの心身を癒した。

 「―すまないな」

 心配らしく、はカノンが眠りに就くまでの時間をいつも傍について過ごした。
 「学校」に行く間も、傷が痛んだ時のために痛み止めの薬を置いて出かけた。

 カノンは何時しか、思った。この様に自分に温かな手当てを施してくれたのは、記憶にほとんど残って居ない、
 今は亡き母くらいだった事を。

 兄の修行を自分で真似、幾度失敗して怪我をしたか、過酷な訓練で自分を追い詰めても、自分で手当てをしてきた。
 は瀕死の重傷を負い、そのまま気付かれなければ命を落としていただろう、異なる次元からここに来た自分を、
 救ってくれた。

 そんな親切心を持つの事が、最初は不思議でたまらなかった。
 カノンに対し―世間はあまりに冷たかった。兄の影として生きる自分は、存在そのものを無いものとして育ったから。

 「カノン。他に痛いところあったら、言ってね」
 「あぁ。大丈夫だ」

 が自分の名を呼ぶ。
 その事が、そんな些細な事が、カノンは嬉しかった。

 自分よりだいぶ年下の彼女に、身体の手当てだけではなく、心までも癒されているこの境遇が、何だか恥ずかしくもあり、
 しかし、自分の気持ちに嘘はつけなかった。

 「。」
 「どうしたの、カノン」

 面を上げるを、カノンは抱きしめていた。
 
 「…もっと、もっと俺の名を呼んでくれ」

 すぐに、カノンに比べれば華奢過ぎる腕がそっと自分の背中にまわった。

 「カノン…」

 が自分に此処まで尽くしてくれる理由が、カノンには分からなかった。
 そう、見ず知らずの自分に見返りを求めぬ優しさを与えてくれる彼女の気持ちが。

 ここまで他人に心を開いた経験が、カノンには無かった。
 全てを任せて、後の消息を知らない兄のサガがこんな自分を見たら―どう思うだろうか。


 「不思議だな、お前は普通の女子、小宇宙の力など持っていない筈なのに、俺にとっては女神以上の温かな何かを感じる」

 自分の身の上を話した事は数度しかなかった。聖域とはまるで違う―、この日本という地に住むを混乱させたくはなかったから。
 しかし、は自分の話す事を、ひとつひとつ、聞いてくれた。まるでもっと自分を知りたいとでも言うように。

 「良く分からないけど―カノン、『運命』って信じる?私ね、はじめてカノンに会った時、カノンを助けたかった。ううん、助けられると思ったの。
 理由なんてない。―だから、カノンと会えたのは、何か、神様がくれた大切な『運命』なんじゃないかなって…」

 「運命、か」

 カノンはの髪を梳きながら、愛しげに彼女を見詰めて、言った。

 「俺は多くの罪を犯した。それこそ、お前たちの言葉を借りれば、地獄に落ちるに違いないくらいの罪をな。しかし、こうしての居る次元に落ちた事は、
 最後に戦い抜いた俺を―神が許してくれた証なのかも知れない、な」

 「カノン…」

 はカノンの背中を撫でた。幾度も幾度も、優しく。

 「カノン。…行く当てが無いのなら、ずっと私の傍にいて。怪我が治っても、私はカノンと離れたくない」
 「…」

 自分も同じ気持ちなのだと伝えたかった。しかし、胸がいっぱいになって、カノンはそれ以上言葉を紡ぐ事は、出来なかった。

 


 ある日、が学校から帰って来ると、カノンはベッドから身を起して彼女を迎えた。
 
 「おかえり、

 カノンはそこで、少し驚いた。

 「…。何を泣く?」
 「…カノンが、居なくなっちゃうような気がして…」

 の不安な気持ちを落ちつけるかのように、カノンはベッドから降りて、彼女のもとへ行き、その頭を撫でた。

 「…安心しろ。俺はどこへも行かん。…お前が望む限りはな」
 「カノン…」

 聖衣を兄に返し、聖闘士としての役目を終えた自分を、このように望んでくれる存在が居ることを、カノンは何よりも幸せだと感じた。
 

 つづく

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