出会い

 まるで捨てられた子猫みたいに。
 彼はぼろぼろで、傷ついて、そこに倒れていた。



 fated〜出会い〜



 雨がぱらぱらと、地面を濡らす。
 梅雨明けに近い時、夏がやっとやってくる。

 は、ひとり帰りの通学路を歩いていた。
 まるで空が泣いているような雨の下。

 「彼」に出会ったのはそんな肌寒い日。

 「―え?」

 はぬかるんだ地面に倒れている人影を、見つけた。


 血に汚れた、ぼろぼろの服を纏ったその人は、海よりも深い、蒼色の長い髪をしていた。
 平凡な日常から切り離されたような、不思議なひと。

 一瞬命は絶えているのかと思ったほどだった。
 けれど、彼の背中が僅かに震えているのに、は気づいた。

 ―助けなきゃ。

 救急車を呼ぶだとか、警察を呼ぶだとか。
 そんな事にも意識が及ばなかったのが、不思議だった。

 「しっかりして、大丈夫?」

 声を掛けたが返事が無い。
 代わりに「う…うう…」弱々しいうめき声だけが聞こえた。

 怪我は相当ひどいらしい。
 やっとの思いで抱き起こすと、彼の身につけている服にはいくつも穴があき、血が流れ出していた。

 正直自分の力で助けられるか、不安ではあった。
 けれど、迷っている暇なんてない。

 彼の腕を自分の肩で支えて立たせ、徒歩で数分の自分の家へ、運んだ。

 


 傷は全身にあった。
 逞しい胸板にも、割れた腹にも、臍の下の下腹部にも、腿にも。

 それらひとつひとつに、消毒液を含ませたガーゼで血と汚れを拭き取って手当てを施した。

 血は止まっていた。
 この人は、回復力があるらしい。

 一番出血のひどかった腹には包帯を巻いてあげた。

 あとは、意識を取り戻してくれるのを、待つだけ。
 苦しさが薄らいだらしく、穏やかな表情で青年は寝息を立てていた。

 うっかりすると、その寝顔に見惚れてしまうほどに、美しく整った顔をしている。

 ―大丈夫?

 声を掛けようとしてやめた。この眠りが彼の体力を回復させてくれることをは願った。

 


 俺の役目は終わった。
 聖衣は兄に返した、もう何も思い残すことなど、無い。
 アテナへの詫びも、この命を投げ出すことで十分出来た筈だ。

 必殺技のギャラクシアンエクスプローションを浴びた時、敵から受けた傷の痛みとは比にならないほどの、身を砕かれるような痛みに襲われ。
 もはやこの命は絶えた、そう思った。

 朦朧とする意識の中、温かな光に包まれた気がしたが、それも一瞬、すぐにかき消えた。…すべてが。



 「うう…」

 眩しい光が目にしみる。
 青年―双子座(ジェミニ)のカノンは目を覚ました。

 ゆっくりとあたりを見回した。

 「どこなのだ、ここは…俺はどうして…」

 ずきんと痛む腹。
 それに障らぬように身を起こすと、身体に柔らかな毛布が掛けられていること、痛む場所すべてに手当てが施されていることを知った。

 戦いの場の緊張感の全くない、静かで心休まる空間。
 カノンは困惑しつつも、安堵のため息をついた。

 「戦いは…終わったのだな」

 この場所がどこなのかは分からない。
 ただ、自分の罪を贖うために戦った記憶と、滅びた記憶を噛みしめながら、カノンは何かに導かれこの場に来たのだと思った。

 「良かった…気がついたのね」
 「!」

 カノンはとっさに身構えようとして、腹部の痛みに顔を歪めた。

 「くっ…お前は…ここは一体どこなのだ…」

 翡翠色の瞳に射抜かれ、困惑した表情を浮かべる少女を、しかしカノンは責めても仕方あるまい、と思った。
 どうやら彼女が自分の命を救ってくれたらしいので。

 「…あなたは、道に倒れていたの。すごい傷だったから、まだ動かないで…傷が開いちゃう」

 慈悲深い表情でこちらに近づいてくる少女の温かな雰囲気に、思わずカノンは息をのんだ。
 
 カノンの居るベッドの横にあるサイドテーブルに、彼女は持ってきたトレイに載せられた温かそうな飲み物を置いた。

 カノンは今まで感じたことのない安らぎに包まれ、少女の言う通りにベッドに再び身体を横たえた。

 「ふっ…物好きなものだな。見ず知らずの俺を、怖いとは思わなかったのか」
 「…ううん、そんなことは思わなかった。ただ助けたいって、思ったの」

 カノンは言葉に詰まった。少女の目に悪意は微塵もなかった。
 あの女神とはまた違った温かさをもって自分を包む、この少女の事が気にかかった。

 「…お前、名は」
 「。」
 「…か。良い名だ」

 カノンは少し考えてから、言葉を紡いだ。

 
 「俺は、俺の名はカノンと言う」
 「カノン…さん」
 「さんなんてつけなくていい。カノンと呼べばいい。それより、礼を言うぞ。俺の手当てをしてくれたのだな」
 「怪我した人を、放っておけるわけ、ないもの」
 「…ふ。とんだお人よしだな」

 つい癖で悪態をついてしまう自分に苦笑しながら、カノンは尋ねる。

 「生憎俺には行く当てがないのだ。傷が癒えるまでこの場にとどまることを、許してくれるか」

 少女―は頬を赤くして頷く。

 自分のおそらく半分程度くらいしかいかない年齢の娘に頼みごととは、カノンはまた苦笑した。
 しかし、この安らぎにもう少し身を浸していたい。

 戦いは終わった。

 アテナの慈悲か、それとも全く別の神の気まぐれか、こうして生きながらえたことに、感謝しながら。


 つづく


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