Pain


 あの日、私は貴方を殺そうとした。
 だから、あの日、私は自分を殺すことにした。

 Pain

 「…サガ。甦ったのですね…」

 女神、沙織はその寝所まで一段一段の階段を上ってきたであろう、双子座(ジェミニ)の黄金聖闘士、サガを嬉しそうな顔で迎えた。

 「…女神」
 「良かった…これで貴方たち黄金聖闘士は、全員甦りました。」

 サガはそっと、その面を上げた。それで沙織は少し驚いた。

 「サガ!」

 サガの表情は、清らかで優しいものである筈だった。確かにそうなのだが、顔からは血の気が引き、息は乱れている。
 異常に気付いた沙織が駆け寄ると、サガは力なく膝を折り、その左胸を押さえた。
 胸を押さえた手の間から紅い血がゆるゆると零れる。沙織ははっとした。サガは、自ら命を絶ったあの時の傷を負ったまま。―なぜ、他の黄金聖闘士たちは癒されていたのに。

 間もなく沙織は理解した。サガは、自分を責める気持ちがひときわ強かったのだ。それで、沙織の力を以てしても癒される事なくこの世に出でてしまったのだと。

  

 「うう…」
 「サガ、傷が痛むのでしょう―大丈夫ですか?」

 沙織は膝をついて、胸を押さえるサガの背に手を当てた。サガは相変わらず苦しそうだった。

 「私に癒しの力がもっとあれば、貴方を苦しませずに済むのですが…」
 「…女神…このサガに過分なお言葉を。私は、天罰を受け、本来苦しみ続けねばならぬ身。…っ…」

 心臓が、あの日穴を空けたときと同じように痛むらしく、サガは肩で息をし、押し殺した声で呻いた。

 「…サガ。貴方が苦しむところを見るのは私も辛いのです…」

 沙織は慈悲深い表情で、サガが胸を押さえている手にそっとその白い手を重ねた。
 
 「天罰を受けたなどと思わないで下さい。サガ。貴方は自ら、あの戦いの責任を取ろうと命を絶ったのでしょう?」
 「…女神。私は…このサガは…」
 「無理に話さなくともよいのですよ、サガ。落ち着いて。もう誰も貴方を責めたりはしません。」

 沙織は言い聞かせるように言葉を紡いだ。
 
 「本来なら、死の世界で安らかな眠りについていたかもしれない貴方たちを、こうして甦らせたのは…私が…」

 沙織は苦しむサガを癒すかのように、そっと柔らかな胸に抱き寄せた。
 サガは目を閉じ、沙織の温かな小宇宙に包まれた。
 こうしていると、不思議と落ち着けた。苦しかった胸の痛みも和らいでくる。

 「私が…貴方達を…サガを…苦しめてしまったから…せめて、もう一度貴方たちに生きて欲しかったのです…今度こそ、幸せになれるように」
 
 沙織の声が震えていた。
 「女神」という存在―自分のせいで、生涯を狂わされてしまったとも言えるサガの命が、あまりにも悲しく、沙織は彼を癒したいと強く願った。
 
 「分かってください、サガ。もう苦しまないで。…貴方は今度こそ正義のために、自分のために生きられるのですから」
 「女神。…恐れながら、私は。…自分のために生きようとは思いません」
 「…サガ」

 目を丸くする沙織の腕の中で、サガはじっと沙織を見つめた。

 「…私は今度こそ、貴方をお守りする聖闘士として、生きたいのです…」

 真摯なサガの瞳に射抜かれ沙織は一瞬言葉を失った。しかしその次の瞬間には、またサガを抱きしめていた。

 「サガ…貴方はどこまでも…有難う、有難う。…サガ。でも、今はゆっくり休んでください…傷が癒えるまで。」

 沙織は涙を零した。一滴の涙がサガの頬を伝った。サガと沙織、どちらのものともつかぬ涙。サガは漸く収まってきた苦しみの下、自分の胸に当てていた手を離した。
 留まることを知らなかった血は、何時の間にか止まっていた。

 おわり


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 2010/11/04